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「駅から徒歩10分、周囲は公園と広葉樹の林です」、そのご婦人の静かな声が心地よく響く。
「環境は素晴らしいと思います」。
私は希望エリアにある賃貸物件の資料を見せてもらっていた。
「築何年位ですか?」不動産屋さんが低い声で問いかける。
少し間があって、ご婦人の声が答えた。
「50年位かしら」、結構な築年数だ。
「3年前にリフォームしたんですね?」「ええ、水回りだけですが」「それを賃貸されるんですか?ご自分で使うためにリフォームしたのに?」小さく溜息が漏れた。
「私は住みたいのですけどね、息子がうるさくて。
西東京は地元みたいなものですし」ご婦人の抑えた上品な語り口が気になって、私は聞くともなく耳を傾けていた。
「いつまで若いつもりでいるんですかなんて言うんですよ」「ご心配なんですよ」不動産屋さんが小さく笑う。
「写真を見た限りでは問題なさそうですが、一度見せて頂けますか?」「もちろんですよ、私はいつでも結構ですよ」。
「お売りになるつもりはないんですね?」また溜息。
「決心がつかなくて。
それに息子のところにはピアノがないんですよ」私は意識を集中した。
「そんなに簡単なことではないんです」。
このご婦人は何者なんだろう?「お友達もいますし」立ち上がる気配がし、私はそちらに目を向けた。
着物姿の上品そうなご婦人だ。
このご婦人のお宅は賃貸に出されるのだろうか。
家賃はいくら位なんだろう。
もう少ししたら、また確認に来てみよう。
「西東京エリアで徒歩10分、和風4LDK+音楽室x(防音済み)、水回りリフォーム済み、条件有り」条件有りって何だろう。
それにあのご婦人はあんなに迷っていたのに、決心がついたのだろうか。
家賃も明記されていない。
まるで「ワケあり物件」という趣だ。
実際、何かワケがあるのじゃないだろうか。
私はしばらく逡巡した。
そして思い切って声をかけてみた、「すみません」。